X-MEN: フューチャー&パストが素晴らしかった

 

 

先日鑑賞した『X-MEN: フューチャー&パスト』が思った以上に素晴らしかったので、感想を記しておく。

 

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※以下、ネタバレあり 

 

今作は、ヒトコトで言ってしまえば、これまで映画化されたX-MENのストーリーをリブート1作目である『X-MEN:ファーストジェネレーション』に合流させつつ、そちらの歴史の方へと(あたかも電車が線路を切り替えるように)乗り換える話であり、新シリーズへのターニングポイントとなっている。

 

漠然とした粗筋は観る前から知っていた。ミュータント達が立たされた苦境を打開する為にウルヴァリンを過去へと送り込むこと、そのため(作中の)現在である2023年と1973年の両方が舞台となり、2000年公開の『X-MEN』から始まる3部作と『X-MEN:ファーストジェネレーション』のキャスト両方が出演するということなどがそれだ。

 

アメコミは好きだが、X-MENはあまりに膨大なので未だ手を出しておらず、今作の主な原作となっている『X-MEN:デイズ・オブ・フューチャー&パスト』も未読であった。その為、原作との比較ができないのが残念である。

 

構成の妙

 

さて、今作にはいくつも素晴らしい点があったのだが、そのうちの1つが「構成の妙」だと言えるだろう。ミュータント達が「センチネル」という兵器に狩り立てられてほとんど絶滅してしまった暗黒の未来(劇中の現在)と、その「センチネル」が飛躍的に進歩し実用化されるきっかけを作った1973年の暗殺事件を巡るドラマが並行して描かれるのだが、何回も時代を行き来するにも関わらず、観ていて混乱することがない。何故か。

 

ひとつには、片方の時代、即ち未来の方の出来事やエモーションを最初から統一させている、ということが挙げられるように思う。未来においては、ほとんどのミュータントは「センチネル」に狩られてしまい、プロフェッサーXとマグニートーはこれまでのように「些細なこと*1」で対立しているような場合ではなく、状況を打開せんとして共闘する立場にある。目的もキティ・プライドの能力を使用して過去を、そして現在を改変することにあり、全員がその為に行動していた。そして実は、暗黒の未来で実現されているこの状況(ミュータント達の共闘)こそ、1973年の若き日のミュータント達が目指すべき答えとして示されているのである。

 

1973年におけるキャラクター同士の関係は複雑で、『X-MEN:ファーストジェネレーション』後の10年間に起こった出来事が対立や挫折を決定的なものにしてしまった様が描かれる。プロフェッサーXが強力になり過ぎた自身の力に怯え、全てを捨てて閉じこもる一方、またしても人間に裏切られたマグニートーは囚われていながらもますます人間への憎悪を募らせていた。更に今作のキーキャラクター:ミスティークは、仲間を殺された怒りから捨て身の暗殺を決行しようとする。ミスティークの行動がミュータントに暗黒の未来をもたらすと知らされたマグニートーは、躊躇なくミスティークを殺そうとし…というように、キャラクターそれぞれが有する信念のベクトルがそれぞれ異なっている上、ストーリーが進むにつれて、それらが刻々と変化していくのだ。これでは混乱してしまうのも無理はない。しかし、少々語弊のある言い方だが、「正解」は既に示されている。未来の世界においてミュータント達が共闘する姿がそれだ。そもそも問題の根を乱暴に排除しようとしたことに、現在(2023年)の姿があり、それを乗り越えるには暴力の連鎖を産んでしまう「姿勢」を変えなばならない。観客は、一方で失敗の中で実現した共闘という到達点を見ながら、他方で反発し合いながらもそれが1973年に実現していく様を追えるのだ。

 

また、クライマックスを両時代で重ねているのも、構成上観やすくなっている所以だろう。未来ではミュータント達が「センチネル」に次第に追い詰められ、次々と倒れていく様と、マグニートーニクソン襲撃場面とが並行して映され、場面がスイッチするスピードはドラマの盛り上がりと共に上がっていく。マグニートーが操る「センチネル」と能力を発動したストームが同じ構図で描かれてオーバーラップする場面は、なかなか上手いと思う。

 

ビジュアル面

 

今作はビジュアル面も非常によかった。

 

まず、ミュータント達を窮地に追いやる「センチネル」だが、特に2023年の方に登場する機体のデザインが恐ろしい。

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どんな攻撃にも「適応」し、反射してしまう様が分り易く描かれる分、絶望感が凄かった。また、「センチネル」が自らの躯を変化させる時、鱗のような細かい金属片がめくれ上がる描写があり、ミスティークの能力を核にしているのだ、ということが一目見てわかるように演出されていた。1973年の方に登場する開発初期の「センチネル」の、いかにもといったレトロな感じも良い。

 

歩けるようになっているプロフェッサーX、人間の姿に戻っているビースト、わざわざ本性を現してターゲットを挑発するミスティーク等、それぞれのキャラクターが抱える葛藤や信念が見た目に現れているのも面白かった。ミスティークはいつものことだが。ビーストの作った薬によって歩行機能を回復したプロフェッサーだったが、それによって彼の持つミュータントとしての力(テレパス)は一時的に消えている。彼は、歩けるようになりたいからというよりも、前作で描かれた出来事の挫折と「聴こえ過ぎる」苦痛から逃れるために薬を投与し続けていた。これは、ある種のチート封じ*2であると同時に、後の彼が車椅子であり続けていることの理由*3にもなっている。また、クライマックスでセンチネルに狙われたビーストが薬を瞬間的に大量投与して「普通」の姿に戻って危機をやりすごす場面があり、彼の知性的なキャラクターがしっかり出ていて良かったと思う。

 

ペンタゴンに幽閉されたマグニートーを救出するシークエンスは、全編コミカルで面白い。クイックシルバーの「軽さ」がいい塩梅であった。彼が見ている景色がどのようなものかわかると、つまらなそうにしていた理由もわかる。彼にとっては全てが遅く退屈で、刺激を探していたのだ。

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 超速の世界でTIME IN A BOTTLE


TIME IN A BOTTLE JIM CROCE WITH LYRICS ...

を聴きながらウルヴァリンマグニートー、プロフェッサーXを救うシーンはとても楽しかった。

 

 結論

 

未来で苦闘するミュータント達の中にオマール・シー(ビショップ役)がいた!とか、ストライカーについてとか、時間モノとしての側面とか、まだまだ言いたいことはあるけど、このくらいに。シリーズモノとして「全部ノセ」なサービスをしつつ、2系統のシリーズを合流させつつ、1つの話として成立させた手腕は見事。本作はディスクが出たら、コメンタリーとかも聞いてみたい映画。そのくらいにはハマった。

 

 

 

 

 

 

*1:と言ってしまっていい程、未来のミュータント達は追い詰められていた。皮肉にも、その苦境がプロフェッサーXとマグニートーという宿敵を和解へと導いたのだ

*2:「世界最強のテレパス」であるプロフェッサーXの能力は、なんらかの形で封じられることが多い。そうでないと、ドラマが生まれないからだ。漫画でもアニメでも、最強キャラは気まぐれだったり心に傷を負っていたりと、封じられていることが比較的多い

*3:原作では宇宙人にやられて車椅子になったようだ。映画版では、よりドラマに寄り添った改変になっている