今年、最近までに観た映画〜映画館〜 2

 

マンデラ 自由への長い道』

ネルソン・マンデラの自伝を元にした映画。若い頃の彼は血気盛んで猛々しく、晩年の泰然としたイメージとはかけ離れていて、そこが興味深い。演じるイドリス・エルバの役作りが凄くて、表情や仕草がそっくりだった。理想を唱えるだけでなく、体現できるのは偉大なことだ

 

X-MEN: フューチャー&パスト』

リブートと過去シリーズが接続されて合流。ファーストジェネレーションにおけるテーマが拡張され、個々のキャラクター同士は複雑に絡み合いながら、全体としてはシンプルな構成という、なかなかの離れ業。ハスベンダーのマグニートーは本当にいい。陰鬱でアツい

 

『デンジャラス・バディ』

チグハグな刑事&FBIコンビが暴れ回るバディモノのコメディ。メリッサ・マッカーシー演じる「不良刑事」マリンズの魅力が、全体を牽引していると言って過言ではないだろう。メリッサもサンドラ・ブロックも素っぽいところがあって、そこが面白かった。シリーズ化しそう

 

『PERSONA3 THE MOVIE #2 Midsummer Knight's Dream』

案の定だった…所謂「V・フォー・ヴェンデッタ現象」ってやつで、原作通りなのに恐ろしくツマラナイ。メディアの移行に伴って必要だった再構成が失敗しているからだ。こりゃ最後までダメだろうな

 

グランド・ブダペスト・ホテル

ウェス・アンダーソン、やりおる。面白かった。ドラメディ(ドラマ+コメディ)ってジャンル分けされてるみたいだけど、そんなアホな区分より前に監督の個性が出てる。滑稽でありながらも、常に背後には戦争の影が付きまとう。グスタフ氏が守り抜いた幻想の欠片を見た

 

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌

久しぶりのコーエン兄弟映画。あれ?人が死なないぞ!?…ただ、グサッっと刺さる映画ではあった。60'のフォークシーンを知っているとより楽しく観られたのだろうけど、知らなくても十分楽しめた。歌はどれもいいし、色々考えさせてもくれる

 

攻殻機動隊ARISE border:3 Ghost Tears』

今までの中で一番地に足の着いたドラマが展開されていた。しかし相変わらずテーマや情感を掘り下げていって欲しい場面で「尺」に邪魔され、それが成らない感じが勿体無いなぁと思う次第。監督の着想は絵描きならではで面白かったな

 

ブルージャスミン

やっと観たけど…ホラー映画じゃないか!ケイト・ウィンスレット演じる主人公「ジャスミン」の狂気とも呼ぶべき精神の不安定さが次々と周囲に伝染し、全てを悪い方へと押し流していく。完全にジェットコースタームービー。勿論笑えるけど、自分の中では恐ろしさが完全に勝っていた

 

『サードパーソン』

60歳越えてムッキムキのリーアム・ニーソンの体しか覚えていない…なんてことはないけど、体仕上がりすぎだろ、リーアム・ニーソン。なんのためにだよ。複雑なようで、そうでもない構造。エイドリアン・ブロディのパートが好きだったかなぁ。テーマの反復もわかりやすかった。長い

 

『トランセンデンス』

業界用語出てきてハッとしたけど、内容は全然関係なかった。キムタクみたいな天才演技するデップが電子化されて人類を脅かすAIに…お、おぅ。途中のゾンビモノっぽい側面を全面に押し出していって欲しかったなぁ。お行儀の良い展開とかオチとか求めてないし。カオスが観たかった

 

her/世界でひとつの彼女

素晴らしい。AIとの恋愛を否定的にではなく、可能性として描いてるところが興味深い。寧ろテーマは主人公が如何に立ち直るか、如何に自分(や他人)と向き合うかというところにある。個人的には、ルーニー・マーラーに魅入られた。不安定な役をやらせたら天下一品だね

 

All You Need Is Kill

小説の映画化というよりも、トム・クルーズ映画として観た。そしてそれは正解だったと思う。映像ならではの表現もちょくちょくあるし、コミカルなところもあるとこが良い。主人公のリープを経て変わっていく顔つき、挙動が見物だ。満席でビックリしたなぁ

 

『リアリティのダンス』

言うなれば、ホドロスキー版アベンジャーズ!現実と幻想をシームレスに行き来する自伝的映画。ビジュアルが全般的に冴え渡っていて、特に色彩が本当に素晴らしい。

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一見意味不明だが、テーマは驚くほどシンプルで普遍的。ホドロスキー一家が紡ぎ上げる、希望に満ちた1作。最高だ

 

『VHSテープを巻き戻せ!』

なんだこれ!様子のおかしいボンクラしか登場しないぞ!?なドキュメンタリー映画。VHSが映画だけでなく、メディア環境自体に多大な影響を与えていたとは。インディペンデントが乱立して自由だったからこそ、今も愛されているのかもしれない。非常に面白い現象だと思う

 

『LUCY』

すげぇ。何がって、なんとはなしに90分が過ぎたことが。冒頭は良かった。あっと言う間もなく恐ろしい事態に巻き込まれて、自分が解さない言語が飛び交う空間に放り込まれるのは怖い。だが、主人公覚醒後は全てが無意味になってしまう。成長も葛藤もない。エモーションがリニアなのだ

 

『クイーンオブベルサイユ』

バカ(みたいな程の)金持ちの転落を笑う、という話に“結果的に”なったドキュメンタリー、なんだけど……グロテスクすぎて笑えんよ。リアル『ブルージャスミン』であり、現代版『市民ケーン』である。また、どんな環境にあっても子供が敏感に事態を察するってことはよくわかった。ドキュメンタリーならではの光景が生々しい。文化的な貧困さは恐ろしいものだとよくわかる。

 

『TOKYO TRIBE』

全編ギラギラの映画。いつも以上にやり過ぎなくらいやってる園子温演出が冴える。メラ役の鈴木亮平がとにかく最高で、主役のYOUNG DAIS食っちゃってる。というか寧ろ彼が主役だったのか?クレジットでも上だったし。シーン間の音繋がなかったのはわざとなのかな

 

攻殻機動隊ARISE border:4 Ghost Stands Alone』

結果的に最後まで尺不足が気になるシリーズであった。予定の尺に対して情報を詰め込みすぎだ、と言い換えてもよい。今作、雰囲気はとてもよかったのだが、話を複雑にし過ぎて、かえって薄くなってしまっていたような気がする。架空の国で起きた架空の事件が中心なのに、それに対する描写に碌な時間が割かれなかった(割けなかった)のも痛い。汲み取ることはできるが、もう少し、もう1カット加えるだけで印象は大きく変わっただろう。結局、監督が「作家」の冲方丁に「情報負け」してるのが問題の核だ。切るべきところを切って作品のビジョンを守る役割を果たせていない

 

 

X-MEN: フューチャー&パストが素晴らしかった

 

 

先日鑑賞した『X-MEN: フューチャー&パスト』が思った以上に素晴らしかったので、感想を記しておく。

 

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※以下、ネタバレあり 

 

今作は、ヒトコトで言ってしまえば、これまで映画化されたX-MENのストーリーをリブート1作目である『X-MEN:ファーストジェネレーション』に合流させつつ、そちらの歴史の方へと(あたかも電車が線路を切り替えるように)乗り換える話であり、新シリーズへのターニングポイントとなっている。

 

漠然とした粗筋は観る前から知っていた。ミュータント達が立たされた苦境を打開する為にウルヴァリンを過去へと送り込むこと、そのため(作中の)現在である2023年と1973年の両方が舞台となり、2000年公開の『X-MEN』から始まる3部作と『X-MEN:ファーストジェネレーション』のキャスト両方が出演するということなどがそれだ。

 

アメコミは好きだが、X-MENはあまりに膨大なので未だ手を出しておらず、今作の主な原作となっている『X-MEN:デイズ・オブ・フューチャー&パスト』も未読であった。その為、原作との比較ができないのが残念である。

 

構成の妙

 

さて、今作にはいくつも素晴らしい点があったのだが、そのうちの1つが「構成の妙」だと言えるだろう。ミュータント達が「センチネル」という兵器に狩り立てられてほとんど絶滅してしまった暗黒の未来(劇中の現在)と、その「センチネル」が飛躍的に進歩し実用化されるきっかけを作った1973年の暗殺事件を巡るドラマが並行して描かれるのだが、何回も時代を行き来するにも関わらず、観ていて混乱することがない。何故か。

 

ひとつには、片方の時代、即ち未来の方の出来事やエモーションを最初から統一させている、ということが挙げられるように思う。未来においては、ほとんどのミュータントは「センチネル」に狩られてしまい、プロフェッサーXとマグニートーはこれまでのように「些細なこと*1」で対立しているような場合ではなく、状況を打開せんとして共闘する立場にある。目的もキティ・プライドの能力を使用して過去を、そして現在を改変することにあり、全員がその為に行動していた。そして実は、暗黒の未来で実現されているこの状況(ミュータント達の共闘)こそ、1973年の若き日のミュータント達が目指すべき答えとして示されているのである。

 

1973年におけるキャラクター同士の関係は複雑で、『X-MEN:ファーストジェネレーション』後の10年間に起こった出来事が対立や挫折を決定的なものにしてしまった様が描かれる。プロフェッサーXが強力になり過ぎた自身の力に怯え、全てを捨てて閉じこもる一方、またしても人間に裏切られたマグニートーは囚われていながらもますます人間への憎悪を募らせていた。更に今作のキーキャラクター:ミスティークは、仲間を殺された怒りから捨て身の暗殺を決行しようとする。ミスティークの行動がミュータントに暗黒の未来をもたらすと知らされたマグニートーは、躊躇なくミスティークを殺そうとし…というように、キャラクターそれぞれが有する信念のベクトルがそれぞれ異なっている上、ストーリーが進むにつれて、それらが刻々と変化していくのだ。これでは混乱してしまうのも無理はない。しかし、少々語弊のある言い方だが、「正解」は既に示されている。未来の世界においてミュータント達が共闘する姿がそれだ。そもそも問題の根を乱暴に排除しようとしたことに、現在(2023年)の姿があり、それを乗り越えるには暴力の連鎖を産んでしまう「姿勢」を変えなばならない。観客は、一方で失敗の中で実現した共闘という到達点を見ながら、他方で反発し合いながらもそれが1973年に実現していく様を追えるのだ。

 

また、クライマックスを両時代で重ねているのも、構成上観やすくなっている所以だろう。未来ではミュータント達が「センチネル」に次第に追い詰められ、次々と倒れていく様と、マグニートーニクソン襲撃場面とが並行して映され、場面がスイッチするスピードはドラマの盛り上がりと共に上がっていく。マグニートーが操る「センチネル」と能力を発動したストームが同じ構図で描かれてオーバーラップする場面は、なかなか上手いと思う。

 

ビジュアル面

 

今作はビジュアル面も非常によかった。

 

まず、ミュータント達を窮地に追いやる「センチネル」だが、特に2023年の方に登場する機体のデザインが恐ろしい。

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どんな攻撃にも「適応」し、反射してしまう様が分り易く描かれる分、絶望感が凄かった。また、「センチネル」が自らの躯を変化させる時、鱗のような細かい金属片がめくれ上がる描写があり、ミスティークの能力を核にしているのだ、ということが一目見てわかるように演出されていた。1973年の方に登場する開発初期の「センチネル」の、いかにもといったレトロな感じも良い。

 

歩けるようになっているプロフェッサーX、人間の姿に戻っているビースト、わざわざ本性を現してターゲットを挑発するミスティーク等、それぞれのキャラクターが抱える葛藤や信念が見た目に現れているのも面白かった。ミスティークはいつものことだが。ビーストの作った薬によって歩行機能を回復したプロフェッサーだったが、それによって彼の持つミュータントとしての力(テレパス)は一時的に消えている。彼は、歩けるようになりたいからというよりも、前作で描かれた出来事の挫折と「聴こえ過ぎる」苦痛から逃れるために薬を投与し続けていた。これは、ある種のチート封じ*2であると同時に、後の彼が車椅子であり続けていることの理由*3にもなっている。また、クライマックスでセンチネルに狙われたビーストが薬を瞬間的に大量投与して「普通」の姿に戻って危機をやりすごす場面があり、彼の知性的なキャラクターがしっかり出ていて良かったと思う。

 

ペンタゴンに幽閉されたマグニートーを救出するシークエンスは、全編コミカルで面白い。クイックシルバーの「軽さ」がいい塩梅であった。彼が見ている景色がどのようなものかわかると、つまらなそうにしていた理由もわかる。彼にとっては全てが遅く退屈で、刺激を探していたのだ。

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 超速の世界でTIME IN A BOTTLE


TIME IN A BOTTLE JIM CROCE WITH LYRICS ...

を聴きながらウルヴァリンマグニートー、プロフェッサーXを救うシーンはとても楽しかった。

 

 結論

 

未来で苦闘するミュータント達の中にオマール・シー(ビショップ役)がいた!とか、ストライカーについてとか、時間モノとしての側面とか、まだまだ言いたいことはあるけど、このくらいに。シリーズモノとして「全部ノセ」なサービスをしつつ、2系統のシリーズを合流させつつ、1つの話として成立させた手腕は見事。本作はディスクが出たら、コメンタリーとかも聞いてみたい映画。そのくらいにはハマった。

 

 

 

 

 

 

*1:と言ってしまっていい程、未来のミュータント達は追い詰められていた。皮肉にも、その苦境がプロフェッサーXとマグニートーという宿敵を和解へと導いたのだ

*2:「世界最強のテレパス」であるプロフェッサーXの能力は、なんらかの形で封じられることが多い。そうでないと、ドラマが生まれないからだ。漫画でもアニメでも、最強キャラは気まぐれだったり心に傷を負っていたりと、封じられていることが比較的多い

*3:原作では宇宙人にやられて車椅子になったようだ。映画版では、よりドラマに寄り添った改変になっている

今年、最近までに観た映画〜映画館〜

 

『魔女っこ姉妹のヨヨとネネ』

よく出来た児童文学的世界、異世界越境モノ、ボーイミーツガールの成長譚。前半やや長いけど、「魔の国」から来たヨヨに動機を与える行程として必要だったのだろう。死生観の違いから来る差異がよく描けていた。キャストも堅く、安心して観ていられる良作

→原作漫画全部読んだ。超面白い。映画版は、かなり原作へのリスペクトと愛が詰まっていることがわかった。原作読んでから映画を観直すと、また違った感想が得られそう。ディスク出たらすぐ観る

 

『ザ・イースト』

環境テロリスト組織「イースト」とそこへ潜入する民間スパイ会社のエージェントが奮闘する話。どの場面も絵画のように美しく、それでいてしっかりと物語に組み込まれている。描かれるのは、善悪や白黒では割り切れない複雑な世界だ。観る者は、ヒロインと共に、知識と技術、重たく切実な動機を持ったテロリスト達の闘いに一片の正義を見てしまうだろう。結論は観るものに開かれている

 

ウルフ・オブ・ウォールストリート

ヒューゴ以来のスコセッシ映画。ディカプリオと一緒にブチ上がり続ける映画。教訓的な話かと思ってたけど、そういう側面は薄い。それがいい!ゲラゲラ笑いながら勧誘電話かけるシーンが好き。相棒のジョナ・ヒルのクレイジーさも最高。冒頭のマシュー・マコノヒーも超よかった。薬キメて人を騙し続ける最高の一作

 

アメリカン・ハッスル

天才詐欺師とFBIが組んだ(事実に基づく)おとり捜査の話。デヴィッド・O・ラッセル映画のキャスト揃い踏み。クリスチャン・ベールのカメレオンっぷりに感動させられる。わかっていても、ちゃんとその役に見えるのがスゴイ。ジェニファー・ローレンスのキャラが最高だった

 

オンリー・ゴッド

おっさんとカラオケと、時々BBA。それが全て。セリフほとんどナシで、象徴を散りばめた場面(のみ)で構成されている。プロットとテーマは分り易すぎるくらい分り易い。ただ、「ドゥーン」って効果音と真顔のままスローモーションで歩くおっさんに、笑い堪えるの大変だった

→観た直後はなんだかなぁと思っていたけど、時間が経つに連れて、まぁこれも1つの映画体験なんだろうと思えるようになった。映画以外の媒体じゃできない体験をした

 

ホビット 竜に奪われた王国

3Dで。完全にエンタメ方向へ舵を切っていて、ピーター・ジャクソンさすがだなと思う。あの世界観を再現するバジェットを得るためには、あれくらい派手にしないといけないのだろう。でも、原作のスピリットはしっかり継いでいる。とにかくアトラクション感全開で、本作では特に川下りが楽しかった。街や溶鉱炉の造形も造り込んであって見応えある。3作目に向けての伏線も万全に張ってあって、年末が楽しみ

 

『ダラスバイヤーズクラブ』

マシュー・マコノヒーがここのところ何に出てても最高。本作も素晴らしかった。重たいテーマにも関わらず、というかだからこそ笑いどころが多くしてある。マシュー・マコノヒーもジャレット・レトも限界まで体重を削った役作りで本物のヤク中にしか見えないのが凄かったなぁ。日本が出てきて笑った

→パンフレットによれば、この映画は全編自然光で撮影されたらしい。確かに他の映画に比べて画面が暗かったけど、気になるほどではない。寧ろ、その絶妙なライティングは、計算された演出かと思っていた

 

キック・アス/ジャスティス・フォーエバー

相変わらずヒットガール最高だった。前作よりも軽い?というかポップな路線に舵を切っている感じ。暴力描写もマイルドになっていたような。昨今流行りの悩む方へは行かず、ストレートな2作目。ちゃんと前作から引き継いでる部分もあってよい。楽しかった

→本作が前作『キック・アス』において、キック・アス自身が変質させてしまった世界(ヒーローが跋扈する世界)の話だと考えると、恐ろしい。現実がコミック化してしまうと、そこでは死すらキャラクターが通過すべき障害の1つになる

 

『スノーピアサー』

ポン・ジュノとクリス・エヴァンズの名前に惹かれて観た。温暖化解消に失敗して人の住めなくなった地球をキチガイの作った列車が爆走する映画。ディストピアSFとして普通に面白いしジワジワ考えさせられる。クリス・エヴァンズのカメレオンっぷりに感心。ソン・ガンホはおいしい役

→観た直後よりも、あとからジワジワ来るタイプの映画。わりとオーソドックスな寓話だと思っていたけど、時間が経つにつれて細部の描写とかキャラクターの行動&発言が思い出され、考えさせられるようになっていく

 

『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』

先行上映で観てきた。エドガー・ライト映画にハズレなし!いつまでたっても大人になれない男が最高の親友と大冒険…っていう毎度同じ話なのに、なんで毎回面白いのだろう。超マニアックな映画のパロディに満ちていながらもしっかりしたシナリオに感服!

→コメディでありながら、アクションが凄い映画でもある。一粒で二度美味しい仕上がり

 

アナと雪の女王

3D字幕で。原作?の雪の女王とは全然違う話だった。すれ違った姉妹の話。同じなのはトナカイに乗って疾走するとこくらいか。アニメーションの技術力が高く、ミュージカルシーンの演出も色々工夫があって、観ていて飽きないし楽しい作品。キャラクターが現代的な造型なのが興味深い

→引くほど流行ってて怖い。それはそうと、ストーリー的には、悪役なんて出さない方が良かったのではないかと思う。その方がテーマを先鋭化できたのに。なんで?

 

ドン・ジョン

ジョセフ・ゴードン=レヴィット主演&初監督作。メディアに毒された人たちの話。鍛え上げたジョセフの肉体になんか違和感。そういう役だから仕方ないけど。ヒロインのスカーレット・ヨハンソンはどうも魅力が…あと、テーマが同じわけじゃないけど、今年はウルフが先にあるからなぁ

 

『あなたを抱き締める日まで』

どうしようもないゲスな宗教的慣習で引き離さてしまった息子を50年間探していた母親の物語。実話ベース。修道院に虐げられ、裏切られても、信仰を捨てない主人公:フィロミーナの姿には、色々考えさせられる。ジュディ・ディンチの演技が圧巻。地味だけど素晴らしい映画

→『フロム・イーブル』を思い出した

 

LEGO® ムービー』

吹替2Dで。画面効果まで含めた全てをLEGOのパーツで表現したコダワリは凄い。膨大な数のパーツで作られた爆発煙とか海とかは見応えあった。しかしその反面、画面が終始チャカチャカとせわしなく動きつづけていて、映画の尺も相まってか、かなり疲れた。ストーリーも微妙

→画面の情報量が凄かった

 

『ZIPANG PUNK〜五右衛門ロックIII』

初、劇団☆新感線。半端ない熱量の作品。超面白かった。ミュージカルは久しぶりに観た気がする。照明で上手くセットを節約しながら、チープに見えない演出が凄い。歌も殺陣も見応えある。敢えて苦言を呈するなら、ダンスシーンのカメラワークかなぁ

→次は生で観たい

 

『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊

藤岡弘、氏が出ているので義務感で観に行ったが…案の定の出来栄え。オールスターモノにありがちな失敗(ストーリー面)+売りの筈のアクションが演出的にも酷い。藤岡弘、はさすがの貫禄で、半田健人出演も嬉しかったけどさ

→どうしてこうなったのか…

 

マイティ・ソー/ダーク・ワールド』

1作目よりは面白かったけど、他のマーべル・ユニヴァース映画に比べるとチョットね…敵の造形は良かった。ギレルモ・デル・トロっぽい。キャプテン・アメリカの登場のさせ方は意外性があって良い趣向だった。ソーとロキとの関係がより入り組んだ形で発展していたのがいいね

 

アクト・オブ・キリング

画面のチープさ、画面内で語られることの異様さが、ディストピアSF映画のよう。演出過剰だけど、それでも「演じること」の向こう側から滲み出るモノの凄まじさに圧倒された。表情の微細な動きから目が離せなくなる。本物のヤクザがみかじめ料集めるとこなんて初めて観たよ

 

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』

ストーリーから配役まで、全てが政治的。アメリカ政治史の暗部と現代の「安全保障」問題をミックスしていながら、すんなり観ることの出来るシンプルさが良い。キャプテンの超人能力が程良い。人間離れしているが、離れすぎてはいない。そんなバランス

 

『映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』

全く観る気なかったけど、脚本:中島かずきということで観た。フォーマットの強さにまけてしまわないか心配だったが、しっかり中島かずきイズムが出ていて良かった。ギャグで誤魔化しきれないハードSFな設定。ひろしが完全に主役だった

 

アメイジングスパイダーマン2』

遺伝子でキャラクターを繋ぐ構想らしい。グウェンの運命は、ブルース・ウェインの両親並みに明らかだったわけだけど…デイン・デハーンがとにかく最高。深くて暗い眼差しが揺れる心を繊細に映す。色々な点で、前作よりも遥かに良い。次作を匂わせる描写も多々あった

 

『チョコレートドーナツ』

アラン・カミングの「母性」がすげぇ。題材的にお涙頂戴話だと誤解されそうだけど、笑える場面も多くて面白かった。世界の片隅でひっそり生きた彼らの、お前らはなんでそんなに「雑」なんだ、なんでそんなに「無神経」なんだって叫びがヒシヒシ伝わってくる。抑えた演出もいい

今年、最近までに観た映画〜DVD〜

 

タイトル左の数字は公開年。順番は概ね観た順

 

1973『ゴジラvsメガロ』

核実験で被害をうけた海底国家シートピア人がキレてメガロを(何故か)日本に差し向けてくる話。核実験してたのアメリカじゃね?一方地上人(日本人)も謎の超技術で人型ロボ:ジェットジャガーを製作。それは自我を獲得した上何故か巨大化。ジェットジャガーキッチュなデザインが素晴らしい。大好き。ゴジラとタッグを組んで大活躍、その様子はまさにプロレス

 

2011『リアル~完全なる首長竜の日~』

佐藤健の茫洋とした顔が印象的だった。『仮面ライダー電王』の頃から上手かったけど、色々なニュアンスを表現できる役者だ。中谷美紀は胡散臭さがいいね。ストーリーはホラー+SFって感じか。フィロソフィカルゾンビって名前はどーなのかね。フィロソフィカルな要素は特にないような…ま、いいけど。特撮でよく出てくる場所映ってアガった。良作

 

1975『ホーリー・グレイル』

モンティ・パイソンの傑作?映画。悪ふざけもここまでやってやり通すべきだよなー。あらゆるイギリス的なモノ(普遍的な権威や権力も)への反抗精神と遊びゴコロが融合した怪作。意外にも序盤の伏線が後に活かされていたりして構成も良い。ヨシヒコはこれをモロパクリしすぎだな。やりたくなる気持ちはわかるけど。コメンタリーも興味深く観た。出演者の家族とか結構出ているらしい。低予算で場面をショボく見えないようにする工夫が凄い

 

1972『地球攻撃命令 ゴジラガイガン

ゴジラの「正義の怪獣」路線なるものを決定づけたらしい1作。ゴジラが街を破壊しないのは哀しいけど、代わりにキングギドラガイガンがやってくれるからいいか…初登場ガイガンもギドラ同様カッコ良い。メッセージ性がシリーズ内でも特に濃い作品な気がする

 

2013『ガッチャマン

ようやく観たので、気兼ねなくゴミをゴミと言える。宇多丸の映画評を聴いてはいたけど、聴いていた以上の酷さ。脚本の破綻が信じられないレベル。アメコミ映画みたいなことがやりたいなら、まずその精神を理解しろよと言いたい。これのおかげでクラウズが生まれたこと以外いいとこなし

 

1985『ルパン三世 バビロンの黄金伝説

映画版の前2作(複製人間、カリオストロ)と押井守のプロット(棄却)からの反動で、かなりポップな仕上がり。初期のボンドシリーズみたいにアクションシーンが長いのと時代背景を結構反映しているのとで面白かった。今はなき冒険活劇の味わい。オチもシリーズ的には珍しいタイプ。こういうオカルト路線もいいね

 

2000『ジュブナイル

公開当時、別冊コロコロでやってた漫画も読んでたな。イマジナリーラインぶっちぎったりとかカット割りがアレなとこあったりとかするけど、監督の近作よりは遥かにマシ。これがAlwaysとかスペースバトルシップに行き着くと思うと哀しい。テトラは確かに可愛かった。ゲームのコントローラーで巨大ロボット操作するとかは、子供の夢だね

 

1987『ルパン三世 風魔一族の陰謀』

初見。キャストも総入れ替えで、シリーズ的にも異色作らしい。とにかく作画が凄くて、そこだけが魅力…と言ってしまうのは言い過ぎかもしれないが、そう言っても差し支えないくらい画は凄かった。キャスト変更も、別にこれはこれでありなのでは?という感じ。特に塩沢兼人氏が演じる五右衛門は味があってよかった

 

2012『ねらわれた学園

1973年刊のジュブナイル原作。原作を細田守時かけみたいな謎改変してて、かつ画作りが劣化版新海誠みたいになってて、話もフワッと雰囲気だけで、もう何がしたいのかわからんし普通にツマラナイ。演出が過剰すぎて、目が痛い以上の効果はなかった。なんで作ったのか謎。最近こういう絵作り多くて嫌だ

 

2013『怪盗グルー ミニオン危機一発』

前作は吹き替えで観たから、グルーの声がスティーヴ・カレルだって初めて知った。ヒロインはクリステン・ウィグ。前作のテーマを引き継ぐというより、アトラクション的な面白さを追求する方向へ舵を切っている。次作はミニオン主役のスピンオフらしい。マジか

 

1982『ビデオドローム

クローネンバーグのカルトムービー。公開当時はブッ飛びすぎてて理解されなかったみたいだけど、今見るとわりとすんなり観られる。それでもヴィジュアルは強烈で、全く色褪せていない。手と一体化する銃、脈打つテレビ、腹に空いた穴。どれもすごい。特撮の宝庫。何にも似ていない映画だ

 

1984『ターミネーター

ゴジラターミネーターも、人類の味方になんかなったら魅力半減だよなぁ。そういう意味で、1作目が好き。低予算をカヴァーする工夫が多いのも観ていて楽しい。シュワルツェネッガーの非人間感は画的に素晴らしいけど、片手でショットガン撃ってるカイルも実は十分怪物。カイルは、忘れられているのが可哀想

 

2012『バトルシップ

ゴキゲンなB級枠だと思って観たら、そこまでゴキゲンなシーンはなかった。中途半端にリアリティ持ち込んでて、これならもっとアホな方が面白いのにと終始微妙なテンション。リーアム・ニーソンとかリアーナとか出てて、脇は豪華。主役は『X-MEN ZERO』のガンビットベイブレードで侵略してくる宇宙人好きにはオススメ

 

1986『ドラえもん のび太と鉄人兵団

昔は何度も観たけど最近あんまり観てなかったから意外に久しぶりの鑑賞。藤子不二雄は子供が何を見ているか、何を望んでいるのかをよくわかっている。スーパーマーケットの棚から好きなモノを持って行ってよいと言われた子供は、インスタント食品しか選ばない。そしてそれこそが、夢なんだ。子供の時しか見られない夢な気がする。

 

1995『セブン』

今観るとストーリーよりも映像に目が行く。キツめのコントラストが効いた画面に鮮烈な緑や赤が配置され、全体がダークな雰囲気で上手く統一されている。最初観た時は、劇中で何故雨が降り続いてるのかが不思議だった。高圧線の間を車が走るカットがカッコ良い。まぁ、良く出来ている。ストーリーに賛否はあれど

 

1986『コマンドー

吹替で観る(観た方がいい?)映画と原語で観る映画の境目はどこにあるのか気になる。これは明らかに前者。B級映画は吹替の方が総じて楽しい気がするけど、『シュガーラッシュ』は吹替で原語にはない良さが(主にヴァネロペだが)出ていたから、一概には言えない気がする。難問だ

 

2009『くもりときどきミートボール

やっと観た。子供向けで、しかもCGアニメだからこそ描ける作品。傑作と呼んで差し支えないクオリティ。食べ物の質感を見事に描いている分、それが反転する後半の、まさしく悪夢的展開がより際立つ。ブラックなネタの切れ味も鋭く、ドラマ部分も重厚で文句ナシ。評判がアレな2を観るのが怖い…

 

2011『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』

復習。クリス・エヴァンズ好きになってから観ると、以前よりもだいぶ好意的に観られる。画面の色彩とか演技が繊細で、名前とかそもそもの設定の大味さをカヴァーしようって努力が凄い。脇にイギリス人俳優が多く出てるのも今更気づいた。良作

 

2002『スパイダーマン

マスクドヒーローのなんたるかを理解しているという点で、やはりサム・ライミ版の方(2まで)が現行シリーズより圧倒的に良い。敵役のグリーンゴブリンも、ヴィジュアル&キャラクター両面で素晴らしい仕上がり。あのスーツ、ガジェットが本当に好き。シリアスに振れすぎないバランス感覚も好み。改めて良い映画

 

1981『ニューヨーク1997

メタルギアシリーズのパク…オマージュ元。主人公の容姿がまんまスネーク。名前スネークだし。大物が結構出てる。刑務所に改造されたマンハッタンを跋扈するヒャッハーな人たちがいい感じ。容赦ないバイオレンスもいい。オチも含めて、やっぱジョン・カーペンター最高

 

1983『スタートレックII カーンの逆襲』

イントゥ・ダークネスのオマージュ?元。トレッキーな文脈が染み付いてないとグッと来ない設定とか展開とかが多かったような。ゆったりしたテンポで進むけど、案外人が死ぬ。イントゥ〜より余程死ぬ。映画だけだと、カーンの魅力はわからなかったかぁ……カンバーバッチ演じるカーンは良かった

 

1981『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』

インディ映画、アイドル映画説。メチャクチャ久しぶりに観たけど、改めて観ると結構テンポが遅い。あとアクションがユルい。その他諸々、アイドル映画的要素(偏見)を含んでいるような。ハリソン・フォードはカッコ良いけど。死に方がエグいのは恒例か

 

1995『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス

ルパン三世映画5作目。奇しくもオウム真理教事件とシンクロしているのが興味深い。アマゾンのシークエンスが必要だったのかは謎。政治的な方向に行くのかと思ったら行かない展開。比べちゃうと、やっぱルパン三世山田康雄の方だと思ってしまうなぁ

 

2012『エクスペンダブルズ2』

やっぱゴキゲンすぎてヤバい。いつみても楽しい映画。2はドルフ・ラングレンがかっこいいのも嬉しいね。でも最終的にはチャック・ノリスが持っていく。開き直った作りのおかげで余計な回り道がなくてスッキリ観られる。若者は生贄になったのだ…3ではミッキー・ロークに是非また出て、暴れてほしい

 

1984『うる星やつら 2 ビューティフル・ドリーマー

何度観てもよく出来てる。押井守の映画は画のキレがあっていい。幼少期ならまだしも、今はこの作品で描かれるような夢の懐疑への畏れはないかなぁ。時間の流れが閉じた『うる星やつら』の世界を告発しているとも言えるけど、ある意味肯定しているともとれるように思う

 

2014『エンダーのゲーム』

竹宮恵子の『地球へ…』に似てるなっていうのが第一印象。ベクトルは逆だけど。古典だから当たり前なのかもしれないけど、オソロシく古典的というか王道な話。延々続く訓練中のアレコレは完全にハイスクールモノのソレだった。悪くはないけど、格別良いわけでもないという

 

2011『モンスターズ/地球外生命体』

7月公開ハリウッドゴジラの予習として。素晴らしい。怪獣映画としても、ロードムービーとしても、最高。なんで今まで観なかったのか。旅が進むに連れて明らかになっていくキャラクターの背景と内面。包帯のメタファーが上手い。美しい景色も見所か。切ないなぁ

 

2011『ファンタスティック Mr.FOX

ウェス・アンダーソンの予習で何故かこれを選択。ロアルド・ダールらしさも残しつつ、映像ならではの表現にも富んでいて面白い。キャラクター達はストップモーションアニメながら多彩な表情を見せる。背景やエフェクトにも凝っていた。音楽も軽妙で楽しい。文句なしの良作

社交体と根源的解釈

 

動機と概説〜ローティーの提案するリベラルな社会について〜

 

 リチャード・ローティーは、マイケル・オークショットの提示した「社交体(ソキエタス)*1」という概念を発展させ、公的なものと私的なもの(政治と哲学)の分離を訴えた。彼は、端的に言えば政治の語彙を極力減らす*2ことで、私的領域と公的領域とを分けるべきだと提案している。

 ローティーは、ある尺度のもとに哲学者を二種に分けて説明する。その尺度とは、公的なものと私的なものとを統一させようという努力、姿勢において、人間には共通の本姓がある、という認識だ。そのことを基盤とする者と、そのことに疑いの目を向ける者*3がいるが、双方とも公的なものと私的なものを結びつけようとしている点で誤っているという。

 

公共的なものと私的なものとを統一する理論への要求を捨て去り、自己創造の要求と人間の連帯の要求とを、互いに同等ではあるが永遠に共約不可能なものとみなすことに満足すれば、一体どういうことになるのかを明らかにすることが、本書の試みである。(リチャード・ローティ,『偶然性・アイロニー・連帯』,5,2000

 

 ローティーが念頭に置いているのは、彼が言うところの「リベラルな社会*4」だ。彼は、人が偶然性の中にいる、ということを認めるところから論を始め、従来は共同体について語られていたのとは別のボキャブラリーを使用することを提案している。何故なら、彼が言うところのリベラルな共同体について語ろうとする時、最早合理的か非合理的かといった区別が役に立たないからだ。

 

個人にとってと同じく共同体にとって、進歩とは、旧来の言葉で表された前提からの論証という問題にかぎられず、新しい言葉の使用という問題でもあるのだ、ということをいったん理解しさえすれば『合理的』『尺度』『論拠』『基礎づけ』そして『絶対』といった考えを中心にすえた批判的なボキャブラリーが旧来のものと新しいものの関係を記述する上で、まったく不適切だということがわかってくる。(同上,106

 

 以上のようなローティーの提案に対し、私は彼が描く「リベラルな社会」の創造がどのようにすれば可能なのかに関心を持った。そこに、超越的原理や既存の規則に依らない道徳の可能性を見たからである。また、ある種の行為や言明の正しさ(正当性)が何に由来するのかも気になっていて、もしもそのことがボキャブラリーの問題によって起こっているのだとすれば、ローティーの提案は「正しさ」が生まれる場面がどこであるのかを示しているように思われた*5

 

根源的解釈的な社会契約とパラダイムについて

 

 公共的領域と私的領域が「共約不可能(incommensurability)」であると言われているのに、何故両者が同等であるとされるのか。私は、ローティーに反し、そこにはやはり言語以外の「統一」を促す何かがあるのではないかと考える。そこで、社会契約的な状況を設定し、「共約不可能」な領域同士の間に横たわる断絶を再現しつつ、それは契約によって越境されるのだ、と想定した。私的領域と公的領域を「共約不可能」でありながら同等であることを維持するためには、何かしら共通の座標系となるものが必要なはずだ。社会契約によってそれは獲得されると考えたいが、しかし通常社会契約が想定する自然状態は、自然状態下の各人に潜在的な共通の座標系(契約後に獲得される筈のもの)をはじめから認めてしまっているように思われる。そこで、「共約不可能」であるまま、契約後に共通の座標系を獲得するという「解釈」は可能であろう(そうするしか方法はない)と考え、デイヴィドソンの「根源的解釈*6」を「社会契約*7」に重ねて論じようとした。

 また、各領域が「共約不可能」とされることから、それぞれを「パラダイム*8」とみなし、そのことによって社会契約の「自然状態」を相互不信の状態ではなく、相互に理解不可能な状態として記述することも試みた。

 

自然状態の解釈として帰属される合理性、道徳性について

 

 自然状態下にある各人を契約に至らしめるもの*9はなにか。私は、自然状態下の各人が有する合理性と道徳性であると考えた。社会契約の契約前を契約後とは別のパラダイムであると想定するのなら、契約前の各人は必ず合理的な存在だ、と考えねばならない*10。契約の前後で異なるのは、合理的かそうでないかではなく、合理性について語ることができるかどうかである。何故なら、契約前の各人に帰される合理性には、それがどのようなものであるかという実質がないからだ。根源的解釈的社会契約を結んで初めて、合理性に実質が与えられ、非合理的であることも可能となる。

 道徳性は、根源的解釈における「寛容の原則*11」の役割を果す。根源的解釈の場面では、対象言語の報告者は概ね嘘をつかないことが前提とされるが、根源的解釈的社会契約の場面では、契約の当事者達は概ね道徳的であることが前提とされるだろう。そのことにより、契約によって得られる合理性に実質が与えられる(パラダイム・シフトが起こる)ことになる。

 

ローティーに帰って

 

 さて、上記のような想定が成功するなら、それは何を意味するのか。ローティーが目指しているのは、連帯を「人間性そのもの」の同一化と区別する*12ことである。私は、道徳が繊細な人工物であること、そのことによって不安定ではあるが常に改定可能であることを示したかった。そうすることで、トートロジカルで遡行不可能な「正当性」というものを退けることができると考えたからだ。

 ローティーは、連帯を「人間性そのもの」の同一化と区別することで、リベラリストでありかつアイロニスト*13であることが可能であると考えている。公的領域と私的領域とを区別することが根源的解釈的社会契約によって可能になるのなら、道徳を「私たちのなかにある神的な部分の声」ではなく、解釈によって記述されるボキャブラリーにできるだろう。ボキャブラリーの変更を提案することで、道徳の改定が可能になるだろう。

 

 

 

*1:共通の目標によって統一された仲間意識をもった一団ではなく、互いを保護し合うという目的のために協力している、同調を避ける人々の一団として理解されている社会(同上,126

*2:ニュアンスを説明するのは難しいが、共同体に関する言説を、彼の言う「残酷さと苦痛の回避」に限るべきだという提案だと理解すればよい

*3:前者がマルクス、ミル、デューイ、ハーバーマスロールズ等であり、後者がキルケゴールニーチェボードレールプルーストハイデガーナボコフ等で、「アイロニスト」と呼ばれる。ローティーは前者を社会改革家、後者を文学者として捉えるべきだと提案している。例えば彼はハイデガーをこよなく愛しているが、ハイデガーの著書や言説が政治的な場面で使用・利用されることを忌避するのである

*4:「リベラルな社会という考え方の中心にあるのは、行為ではなく言葉、強制ではなく説得が維持される限り、なんでもありだということなのだ」(同上,112

*5:道徳性を私たちのなかにある神的な部分の声だと考えることをやめ、その代わりに共同体のメンバー、共通の言語の話し手としての私たち自身の声であると考えることができる場合にのみ、私たちは『道徳性』という考えを維持することができる(同上,125

*6:デイヴィドソンの提案によると、意味の理論は、ある言語に含まれている語の外延を 与える公理と、それらの語を結合するさまざまな方法によってどのような結果がもた らされるかを述べる公理とから成り立ち、こうした公理によって含意される定理(T -文)が、対象言語の文の意味論的性質を与える役割を担っているのであった。そし て、この役割は、対象言語の各文に対して、その文が真のときまたそのときに限って 真となるようなメタ言語の文を与えることによって果たされる。(サイモン・エヴニン,『デイヴィドソン 行為と言語の哲学』,209,1996)

*7:トマス・ホッブズによると、自然権を有した自然状態の各個人は自然法の機能不全により 万人の万人に対する闘争状態に陥っていたと仮定される。この闘争状態を克服する為に、各 個人が自然的理性を発現させ、自然権を放棄して社会契約を締結、契約に基づいて発生した 主権により国家が成立したとされていた。彼の論では契約の当事者に王が含まれず、最終的 に国王主権も正当化されるが、本論では連帯のない(非社会的な)個人があると仮定される 自然状態と、その連帯のない個人があるインセンティブによって契約を結び、自他を貫く基 準を創出するものとして社会契約を捉えたいと考えている。

 ジョン・ロックは、ホッブズと異なり、自然状態を各個人が自由かつ平等であったと記述 する。しかしそこで生じた様々な不都合により、やはりホッブズと同様自然権の一部を放棄 して始原的契約(original compact)を締結、国家が創出されたとした。そして、ホッブズ と同様やはり王は契約の当事者に含まれないが、人民の信託(trust)によって作られた政府が何らかの形で自然権を侵害した場合には、元の主権者である人民は抵抗権を行使するこ とができるとした点で、ホッブズとは異なった立場に立っていると言える。

*8:様々な使われ方をする語だが、ここでは「ある集団の成員によって共通して持たれる信念、価値、テクニックなどの全体的構成」として使っている。つまり、自然状態下の各人は、相互に異なったパラダイムの下にあると想定されるし、それが領域同士なら「共約不可能」なのである

*9:通常の社会契約では、自然的理性による

*10:デイヴィドソンによれば、合理性の帰属は探求の前提である

*11:寛大さは選択可能なもののひとつではなく、有効な理論を獲得するための条件である。 したがって、それを是認すると大きな誤りに陥るかもしれないと説くことは、無意味 である(ドナルド・デイヴィドソン,「概念枠という考えそのものについて」,『真理と解釈』,210,1991)

*12:私は『人間性そのもの』との同一化としての人間の連帯と、民主的な諸国家に住まう者たちにこの数世紀を通じてしだいに浸透してきた自己懐疑としての人間の連帯とを区別したい。それは、他者の苦痛や辱めを察知する私たち自身の感性への疑い、現在の制度的な編成がそうした苦痛や辱めに適切に対応し得ているかどうかへの疑いであり、それ以外の可能なオルタナティブへの関心である。私には『人間性そのもの』との同一化は不可能であるように思える。それは哲学者が発明したものであり、人間が神と一体になろうという観念を世俗化しようとする危険な試みに過ぎない。(中略)私自身の用語で言い換えれば、それは、あなたと私は同一の終極のボキャブラリーを共有しているかどうかという問と、あなたは苦痛をこうむっているのかどうかという問とを区別する能力である。(リチャード・ローティ,『偶然性・アイロニー・連帯』,411,2000

*13:リベラル・アイロニストによる連帯のイメージとは、以下のようなものである。「連帯という感情は必然的に、どのような類似性や非類似性が私たちによって顕著なものとして感じられるかということにかかわっており、何が顕著なものとして感じられるかは、歴史的に偶然的な終極のボキャブラリーのはたらきに依存しているということである」(同上,400

春アニメ

 

一応、だいたいの春アニメの1話が放映されたので、短く所感を観た順に

 

ブレイドアンドソウル』

クソ面白くない。GONZOはいい加減にしろと言いたい。最近マジで当たりがない……

 

『selector infected WIXOSS』

岡田磨里脚本アニメ。あーあ

 

『悪魔のリドル』

強烈な既視感。ダンガンロンパ感。OPがまれい

 

僕らはみんな河合荘

原作既読。花澤香菜がもういい加減無理。画面の色調がアカン。ギャグもスベってる。原作からだけど

 

『ディスクウォーズアベンジャーズ』

おいおい。なんじゃこりゃ…販促アニメにしても、もっと面白くしろよ。あと金かけろ

 

金田一少年の事件簿R』

杜撰な紙芝居を見せるんじゃない。このアニメも色調おかしい

 

ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース

金はかかってるけど、これといって。画面が薄暗い

 

蟲師 続章』

安定

 

『健全ロボダイミダラー』

往年のテンションとギャグ、ってコンセプトなんだろうけど、いまひとつやりきってる感じがしない。中途半端

 

魔法科高校の劣等生

見える地雷。真面目に観てたら3秒で耐えられなくなる。ツッコミながら観るアニメ。コピペ*1が面白い

 

『星刻の竜騎士

遅れてきたゼロの使い魔系。絵柄も含めて

 

『神々の悪戯』

ホモゴッズ学園って呼ばれてるの知って、めちゃ笑った。はやみん可愛い

 

『それでも世界は美しい』

普通に観られそう。背景ショボイけど、話はしっかりしてそう

 

ミュータントタートルズ

クレイアニメ風のCG版。トーマスとかしまじろうがCG化されたのを観た時ほど、絶望感はない。始まったばかりだからか、期待されるアドリブが少ないのが残念。サワキちゃ〜ん

 

金色のコルダ Blue♪Sky』

ザ・茶番。音と動きを合わす気がないなら、楽器出すなよ

 

キャプテン・アース

発表された時から、期待してた作品。スタドラとかホスト部のハズさないコンビ&スタジオ製作で、役者陣も堅い。群像劇で、しかも半端ない情報量でありながら、観ていても混乱しない丁寧な作り。勇者王シリーズ風の合体&出撃シーンで爆アガり。今回はスタドラの前期OPみたいな残念なことにはなっていないのも嬉しい。今期一番

 

『ハイキュー!!』

今期のダークホース。なんか、普通に面白かった。ストレートなスポーツアニメを久しぶりに観たからかもしれない。画的にもキメるとこキメてて、いい感じ

 

『彼女がフラグを折られたら』

ギャルゲー的な作法、所謂「フラグ」をメタに取り込んで設定に生かしている作品。1話観た段階では、そういう保険をかけておきつつ、普通にハーレムラブコメやるんだろうなぁと思っていたら、2話で急にキチガイ度が上がっててビビった。よって、キチガイ枠に昇進

 

一週間フレンズ。

琴浦さん枠。記憶消えるとか好きだよね、なんか。どーでもいい

 

『極黒のブリュンヒルデ

原作既読。アニメにしてまで原作のギコチなさを再現する必要はないだろ。演出おかしい

 

ラブライブ第2期』

冒頭で挫折しそうになった 

 

『マンガ家さんとアシスタントさん』

はやみんアニメ。というか、きっとハイテンションな松岡禎丞を楽しむものなのだろう

 

『ブラックブレット』

ライトノベルらしいストーリー、設定。某劣等生よりも余程しっかりしている。全体的に。堀江由衣の演じるキャラが『喰霊-零-』の諫山黄泉にしか見えない

 

史上最強の弟子ケンイチ

声が豪華ってのは、こういうののこと言うんだよ。川上さん……

 

『風雲維新ダイ☆ショーグン』

 本物の紙芝居がここに。これモーショングラフィックスだよね?アニメじゃなくて

 

ソウルイーターノット!』

原作既読。今期のクレイジーサイコレズ枠。でもはやみん可愛い。原作と比較すると、演出をしっかり変えてあって、地味に手が込んでいる作り

 

 『ノーゲームノーライフ』

チェスの監修入ったとか言ってたけど、そんなことより本編の方どうにかしろや。輪郭線まで下品に光らせる意図はなんなの。見難いだけなんだけど

 

『棺のチャイカ』

マカロニウエスタンじゃねーのかよ!棺桶あっさりあけてガッカリ。棺に入れるのはガトリング*2だろうが!たまに作画がいい

 

エスカ&ロジーのアトリエ~黄昏の空の錬金術士~』

こういうボンヤリしたファンタジーが最近多い。関係ないけど、村川梨衣からはそこはかとない狂気を感じる

 

『ご注文はうさぎですか?』

狙い澄ましたまんがタイム系。高いあやねるキッツいなぁ。清川元夢速水奨は反則だろ…

 

デートアライブⅡ』

張り倒すぞ

 

『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金

原作既読。露骨に西尾維新フォロワー。そして面白くない

 

『ピンポン』

普通に面白い。こういうことできるってだけで、ノイタミナ枠は意義あると思う。質アニメとか言われそう。というか、既に言われてた

 

シドニアの騎士

原作既読。原作が面白いだけに、どうなることやらと思ってたけど、うーん……弐瓶勉が描く漫画にあるオドロオドロしさみたいなものが、キャラまで全部CGにすることで削がれてしまっているように思われる。背景はそこまで悪くなかったけど。宇宙空間における音の付け方にも異議アリかなぁ。今後、良くなっていくことを願います。ラジオは面白い!

 

メカクシティアクターズ

原作既読。原作もゴミだけど、アニメの方はシャフトが悪い。色々言いたいけど、言ったところで、なんだろうな。ゴミ

 

『M3〜ソノ黒キ鋼〜』 

 おいおい……

 

 

…… 多い。とにかく数が多い。精神が擦り減る。ヒトコト感想書くだけで疲れる。なんだこれ

 

 

 

 

 

 

*1:※一応、ネタバレ注意

・日本で1,2位を争う魔法名家の生まれ 
・骨折や出血多量の致命傷を負っても一瞬で再生できる能力と 
一人で戦艦を一瞬で消滅させる、世界に殆どいない戦術級の能力の持ち主 
・そのせいで普通の魔法を使うのに少し手こずる 
・普通の魔法が苦手なだけで実戦は負け知らず、小さい頃から軍隊に所属して働き 
忍者の師匠が居て格闘術も最強クラス 
・学校の成績はトップクラスで見ただけで相手が魔法を発動する前になんの魔法かわかる 
・魔法発動前に、術式がわかるから、発動前なら魔法消去できる 
・研究が大好きで、学生なのに魔法史を覆し、名前が後世に残るような大発見を何度もしている 
・幼い時に改造された人間魔法兵器で、最強になったが精神が破壊された 
・親の会社(魔法アイテムメーカー)で研究してて、利益に多大な貢献 
・戦闘力・研究成果ともに世界トップクラスなのに、それを隠して高校に通ってる 
・主人公固有のTNT換算20メガトンの戦略級攻撃魔法で敵の軍港を近隣都市ごと吹き飛ばす 
・分解や再生に関する魔法なら何でも使える 
・それ以外の魔法は魔法式を構築するのに時間がかかりすぎて実践では使い物にならない 
・しかし魔法式を丸ごと脳に植えつけることによりむしろ常人より早く魔法を使える 
・↑は四葉家の秘匿技術なので世間にバレてはいけない 
・物体を原子単位で分解→E=mc^2で、質量をエネルギーにできる。 
・物体を原子単位で復元→肉体も物体も再構成可能。発動体が壊れても、これで復元。 
・さらに、天才の主人公にしか使えない擬似魔法により、たいていの魔法は再現可能。 
・ちなみに兄は戦略級魔法師で妹が戦術級な 
兄の通り名は「破壊神(ザ・デストロイ)」 
特殊な「眼」により隠れている敵をすぐに見つけ出したり見えない攻撃を察知することができる 
「眼」を誤魔化すことができるのは「この世に存在しないモノ」のみ 
・妹のキスで、魔法の制限が解除される

*2:『続・荒野の用心棒』

亜空の深淵行ってきた

 

モーレツ宇宙海賊 ABYSS OF HYPERSPACE 亜空の深淵』観た。

 良かった、悪かったとハッキリ言い難い出来だったので感想をば。

以下、敢えて問題に思えた点だけ記す。

 ※ネタバレ注意

 

気になったところ

 

まず、明らかに尺*1が足りていない。これが一番気になったところ。テレビシリーズの映画化ということもあって、やらなければいけないこと、出さなければいけないキャラが多い(特に『モーレツ宇宙海賊』は群像劇なのでキャラ数半端ない)ことは承知しているが、それにしても詰め込み過ぎなんじゃ…とにかく尺がないので、次から次へ出来事が起こり、それを登場キャラ達は瞬時に理解&把握、次のステップへという流れが劇中繰り返されていた。モーパイらしい*2といえばらしいのだが、テレビシリーズが比較的余裕のある作りだった分、それとのギャップでより早足に感じてしまった気がする。伏線も、後で「そういうことだったのか!」と気付くというより、スクリーンに映った瞬間「あぁ、そうなるのか」と先の展開を気づかせるものになってしまっていた。ある意味、極限まで無駄を省いた結果だ。

 

上記に付随することだが、とにかく全ての事柄が早足で進むのでキャラクター描写が全体的にあまり上手くいっておらず、誰に感情移入してよいのか分かり難いのも問題だったように思う。外部者の(そして鑑賞者の)視点として新キャラ=無限彼方を出すのは要請上当然のことであるように思うが、観終わってみても、結局彼はなんだったのかよくわからない。また、彼のメンタリティがどのように変化したのかが追い難いので、観客視点としての役割も十全には果たせていない。無限彼方は父の遺産を託されたことで謎の敵に狙われ、逃避行の果てで茉莉花に出会うのだが、彼の海賊達に対する疑いが何時どこでどのように晴れ、信用するに至ったのかがイマイチよくわからない*3のだ。一晩寝て起きたら気が変わったようにしか見えなかった。

 

監督が以前イベントで話していたグリューエルとグリュンヒルデ姉妹の関係を深堀する*4ような描写も映画版には盛り込まれていたのだが、やはりそれも尺が足りず、不十分な描写になってしまっていたように思う。グリュンヒルデが無限彼方と自身の類似点*5(と彼のそれに対する態度)に反感を持っている状態から、彼に協力しようとするまでの心情変化があまりにも短時間で起こるので、昨今流行りのチョロインにしか見えない。

 

映画化したことで、キャラクター造形や背景のデティールアップが高いレベルで実現されていたのは良い点なのだが、結局それも尺に余裕がない所為でじっくり見られなかったのが残念だ。たとえば弁天丸のブリッジは全面的にブラッシュアップされていたが、それをじっくりナメて隅々まで見せるようなショットが無いのである。他にも、新奥浜の街、ランプ館等もう少し背景をじっくり観てみたい場面は多くあったのだが…こういった諸々はディスクや設定資料集のようなもので確認するしかないのだろうか?

 

これは尺云々とは関係ない*6ことだが、メインプロットである亜空間航路開拓に関する事柄と茉莉花たち宇宙海賊があまり上手く絡んでいなかったように思う。作品世界において銀河文明を根底で支えているのが超光速航行技術だ。その航行ルートを人為的に塞いで自社グループに利益誘導しようというメガコングロマリットユグドラシルグループの陰謀や、政治・軍事・経済のバランスを根本から変えてしまいかねない新規亜空間航路の開拓が、弁天丸クルー(と白鳳女学院ヨット部)の手に負えるような事件には思えなかった。本来なら、銀河全体を巻き込んだ巨大な事件のハズである。良くも悪くも、このシリーズはある特殊な条件下*7で「宇宙海賊」を成立させているので、その弊害が出てしまった形だろう。”合法”の海賊として法の制約から逃れている反面、法に縛られない自由さからはやや遠いところにいる。

 

能登さん(演じるキャラ*8)必要だったの?問題。劇中に匂わせる描写は多々あったものの、アレならいなくてもよかったのでは…?無限彼方とは別方向から博士を追うキャラクターという対比は理解できないわけじゃないけど、思わせぶりな雰囲気だけ振り撒いているキャラに見えてしまったなぁ。もしかしたら、クライマックスの対決的場面を演出する為だけに出されたキャラなのかもしれない。それならば、彼女を削って、無限彼方の描写を増やしても良かったのではないかと思う。

 

他にもコマゴマとあるけど、まぁ言っても仕方ないか。チアキの謎な扱いとか、シュニッツァーの活躍とはなんだったのか、とかね…無限博士が残した亜空間潜航艇のデザイン*9については触れない方がいいの? 

 

結論的な何か

 

色々書いたけど、別に悪い映画ではない。基本的に一見さんお断りのファンムービーだという前提だが、一応の配慮もなされていた。良かった点を挙げようと思えば、幾つもあるのだ。劇場版らしいリッチな画面*10はやっぱり良かったし、観ていて楽しかった。前述した通り、キャラクターデザインから弁天丸のブリッジまで、TV版に比して大幅にグレードアップしている。挿入歌の使い方だって悪くはなかった。何より、大スクリーンで観る宇宙船は迫力があって良い。オデットⅡ世が出てきた時はアガったなぁ。 一瞬だったけどさ…

 

 

 

*1:上映時間95分

*2:そして原作者:笹本祐一らしいとも言えるか

*3:わからないわけでは決してないのだが、如何せん実際の時間が殆ど経っていないのに心情がコロコロ変わっていくので、観ている側としてはチョロイなコイツと思ってしまう

*4:「黄金の幽霊船」編で本来はもっとやりたかったことのようだ

*5:特殊な星の下に生まれたこと

*6:厳密には関係あるかもしれない。これがテレビシリーズであれば、5〜6話かけてもっとじっくり描かれただろう

*7:植民惑星自治政府の戦力不足を補う為に限定的な形で認められた海賊免許が、終戦の有耶無耶によって持続している

*8:金髪サングラス紅服

*9:CGェ…

*10:最近はこの段階でハズレの映画が多くて困る